マネーあれこれドキュメント(改題)

日記のようなもの でしたが、準富裕層を目指して資産の事、ポイ活など気ままに書きます

めざせ!準富裕層

久しぶりにこのブログを立ち上げましたが、各ブログに載せる記事がある程度決まってしまっていて、ここでは暮らしの身の回りに関する雑多な内容を載せたきり、放置していました。

 

今回、自身の資産に関する記事を、公表度合いの薄いこのブログにしたためる事とし、この記事はXに公表しない事を前提で、金融資産のドキュメントをお送りしたいと思います。

なので、これまでの記事とはガラリと毛色が変わますが、これにより自身の資産増への鼓舞や貯蓄モチベの向上を図ると共に、どなたかへのお役に立てる事ができれば幸甚の極みというものです。

 

ということで、早速。

今回は自分の金融資産の推移についてザックリ触れたいと思います。

(自分の人生振り返りも兼ねて、すごく長くなってしまってます、スミマセン)

 

まずは社会人になった時、22歳6ヶ月でしたが、この時は資産0。

むしろ学生時代末期に親に借金する羽目になったほどで、初任給は親に返していました。(10万程度ですが)

 

●社会人初期

学生時代は10万以上のお金を持っている事がなく、今手元にある記録を見ていると、初めて持ち金が10万を越えたのは22歳8ヶ月でした。

50万を越えたのが23歳3ヶ月。初のボーナスが入ってのものでした。

100万到達が23歳6ヶ月、実家暮らしもあり順調なものでした。社会に出て1年でここまできました。

150万到達が23歳10ヶ月、ここまで順調そのものでしたが、この時期くらいに実家を出て一人暮らし、賃貸暮らしで今に至りますが、自活するようになり、この辺からお金の増減をしていく事となります。まず一人暮らし開始にあたり、敷金を40万余り払ったので、一時激減しました。

その後はあまり高くない給料と家賃および固定費支払い、定期的に豪快に遊び?などなどで150万前後で停滞します。

最初からそうでしたが、若い頃は金を貯める事に全く執着がありませんでした。自分がいくら持っているのかはメインの通帳の金額だけで大体知っていたような感じでした。

そんな訳で200万に到達したのが26歳3ヶ月、150万到達から2年半も経っていました。財布にいつも10万くらい持っていて、適当に暮らして適当に遣っていました。

 

●最初の会社退職後、無職時代

しかし、ここを頂点にその後減少の一途を辿っていきます。

というのも、この3ヶ月後の26歳6ヶ月で、最初に就職した会社を4年間で退職しました。

200万の貯金で、退職してから就職活動しようと思いましたが、その前に好き放題に九州一周や北海道一周旅行を一人で敢行したりしてて、今から考えると呆れますが、当時はそういう時間が欲しかった訳です。

結局7ヶ月間も働かずに、3ヶ月分は失業保険の支給がありましたが、国民年金や健康保険料、前年分の住民税など、会社が折半してくれていたものなどが丸ごとのしかかってきたりして、みるみるうちに持ち金は減っていきました。

 

●貯金を取り崩すアルバイト生活

26歳9ヶ月で150万を切り、2ヶ月後には100万を切り、失業保険支給もなくなり、

就職もままならず、ひとまずアルバイトの口になんとか潜り込み、27歳1ヶ月からは7ヶ月ぶりに働く事となりました。

しかしそこはアルバイト身分、平日5日間を8時間、時給1,000円で働いていて、月給がほぼ16万前後でしたが、社保も何もつかないので、保険料、年金等結局自腹で払っていると、ほぼ貯金はできず、結局は貯金を少しずつ取り崩しながらの生活となり、結局27歳8ヶ月からは50万円も割り込むようになりました。

アルバイトは結局8ヶ月あまり、27歳10ヶ月で退職し、次の就職は決めましたが…

 

●超ブラック企業ドロップアウト

再就職は決めたものの、10日で辞めてしまいました。

原因は、その会社があまりにブラックで(今は存在しませんが…)、人として心がついていかなかった為です。それ以来、面接して即日採用の会社は、絶対怪しいと知りました。

再就職前に、ある程度の収入を見込んでいましたが、脆くも崩れ去り、10日間の4万7千円だかの給料が振込まれただけでも御の字でした。

 

●再び無職生活

という事で27歳10ヶ月からまたも無職生活が続き、この時の貯金が30万あるかないか、でした。

さすがに火がついて、就職面接を受けまくるも落ち続け、27歳でも職がないない…と思っていましたが、アルバイトでも…と思っていたら、これすら受からない…見る見るうちに金はなくなり、28歳の誕生日を迎えた頃には残り22万円!

そして、28歳1ヶ月で遂に残り10万円!この時も5万からの家賃を払っていたので、もはや1ヶ月暮らす事もままならなくなってきました…。

なりふり構わずにバイトに応募し、某大手運送会社の荷物仕分けの夜勤バイトをしましたが、夜勤初めてだし体力なさすぎて身体がガタガタになり、それでも1日働いただけでは無給なので、なんとか2日働いて1万5千円ばかりもらえました。

 

●ようやく手にした定職

その地獄バイトの2週間後、ハローワークで目にした求人、派遣会社でしたが、某大手工場での労働、という事で、その会社を訪ねた上で派遣先の面接を受け、そこには4人ほどいましたが、なんとか定員の1人に選んでもらいました。

27歳1ヶ月で残り10万を切った頃でした…。家賃支払いとか色々あって、月末までもつか…と思っていました。もし給料日までに家賃が払えなかったら、給料前借りしようか!とすら思いました。または同僚から少し金を借りるか…。

結果、なんとか給料日までは持ちこたえ、しかもその派遣先が慣れないながらも、すごく良くしてもらっていたので、馴染むことも出来て、ドロップアウトする事もなく、金を前借りする事もなく、乗り切る事ができました。

時給1,300円の派遣身分でしたが、アルバイトとの大きな違いは社保負担してくれるところでした。

 

●V字回復

28歳1ヶ月の10万切りを底として、1年半ぶりに派遣ながら一応会社員として定職にありつき、ここからは増やしていく、いや回復していくだけでした。

ボーナスが出ない(年に2回、給料と別に寸志程度で5万円ほどあった)ので、大きく増える事はなかったものの、28歳6ヶ月で50万を越え、29歳0ヶ月で100万に回復しました。

今まさに「めざせ!準富裕層」なんてタイトルで書いていますが、28歳の頃には限りなく文無しに近い状態だったのです。

 

そうして、最初の会社を退職した26歳6ヶ月頃の200万に、再び30歳2ヶ月で戻す事ができました。実に200万で3年半足踏みしていました。

 

●投資を開始

派遣社員生活は軌道に乗っていき、28歳9ヶ月持ち金70万あまりの頃に「純金積立」を始めました。これは25年経つ今も実はやっています。当時は金価格が1㌘1,000円するかどうかで、今の1/10ほどでした。さすがにこの当時から持っている訳ではなく、時々儲かったら下ろしながらですが、今はもう10年以上積立していて、㌘平均4,200円くらいで推移してるので、2.5倍くらい儲かっています。ただし税金でごっそり持って行かれるので、まだ換金せずに積立を継続しています。

 

また、29歳3ヶ月で130万の持ち金のうち、40万で投信を始めました。10年ものでアジア株と日本株で20万ずつ?当時の野村証券の「プラザ」というものでしたが、これはその後10年寝かせて結局わずかな損で償還となりました。

 

外貨投資で、30万をつぎ込んで1ヶ月後くらいに35万になって返ってくるなど、積極的に儲けに行ったりもしました。

しかし、この時期はなぜか金が貯まっておらず、持ち金200万円台でしばらく停滞していました。

 

●300万から500万

停滞を経て、ようやく未知の世界へ。持ち金300万到達が32歳6ヶ月200万到達の約2年半後の事でした。生まれて初めて300万到達でした。それまでも寸前まで何度かいきながら、株で損したり思うに任せない状況が続いていました。

 

400万到達が33歳3ヶ月、300万到達の9ヶ月後でした。

そして節目の500万到達は34歳0ヶ月、400万到達のやはり9ヶ月後でした。このあたりはずっと派遣社員としての生活で増やしていく事ができました。

 

●7年ぶり正社員へ

この400万から500万へ到達する途中で、念願の!正社員として就職する事ができ、33歳9ヶ月で実に7年ぶりの正社員就業となりました。

という事で、この年の暮れから久々に本格的なボーナスを貰えるようになりました。これまた7年ぶりのことでした。

その後は600万到達が34歳11ヶ月、700万が35歳7ヶ月、800万36歳2ヶ月とペースが上がっていきました。この辺りから持ち株が塩漬けになり、当時の時価が不明で見込値?ですが持ち金の半分程度を株に費やしていました。

そして900万到達が36歳10ヶ月、節目の大台1,000万到達が38歳2ヶ月でした。これも見込値でのものなので、正確にいつ達成したかは不明ですが、大体このくらいだろう、という感じです。

 

●ここからは500万単位で

人生ドキュメントが無駄に長くてすみません、ここからは安定生活なので特に書くこともなく、500万単位で到達時期を記します。

1,500万到達は41歳8ヶ月、40歳時点では1,280万ほどでした。

2,000万到達が45歳2ヶ月でした。

200万から文無しになって、また200万に戻すのに3年半かかりましたが、1,500万から2,000万になったのもまた3年半ほどでした。この時ですらまだ、結構好き勝手に金を遣っていて、持ち金をろくに意識してませんでしたが、この間に41歳6ヶ月で役職者になり給料が増えたのもあります。

2,500万到達は47歳2ヶ月、2年で500万増えていますが、2,000万到達の翌月に課長に昇進し更に給料が増えたのもありました。

この頃もまだ持ち金を意識しておらず、ただ普通預金口座が1,500万くらいになっていたので、銀行から時々電話がかかってくるようになりました。電話に出ずにいたら、封書でしかも手書きで「ライフプランをお考えですか?」みたいな書面と金融商品群が送られてくるようになりました。でも全く見向きもしませんでした。この時期は温泉宿旅行に頻繁に行っていましたが、それでも増えてました。

 

●アッパーマス層

タイトルの「準富裕層」を目指す、いわゆるアッパーマス層の入口である3,000万に到達したのは49歳6ヶ月の事でした。この時はそれまで大台にはまだ遠い状態でしたが、親族の遺産が想定外に転がり込んできて、一気に到達しました。ただし、そのお金はほとんど母親に渡しています。

それでも3,000万は維持していて、そうこうするうちに世の中はコロナ禍へ突入しました。お金を遣う事がなくなりました。その分、母親へ渡していたので、大きく増えませんでしたが、着実に増えていき、51歳8ヶ月で3,500万に到達しました。

52歳2ヶ月で3,700万となりましたが、ここで引越し、更に物件が見込み違いで再引越しとなり、かなり金を遣いましたが、大きく減らずに済みました。この時は家賃振込の2重生活を半年、うち1ヶ月は実に3重生活をしてて、家賃払いが懐を圧迫していました。会社の社宅適用をあえて受けなかったので全部自腹でした。

 

初めて、というか久々に持ち金を増やすことに意識を傾けたのが、52歳3ヶ月の事でした。

口座の印章を確認しに銀行へ行って順調に手続きを終えていましたが、そこで銀行職員に通帳を見られ、呼び止められました。時に15時前、閉店近い頃でした。

そしてそれまで何度も電話や郵送でされていた「金融商品群」の説明をみっちり受けることになりました。「そんなに貯金してるなら、なんか投資しろ」という訳です。

この時折しも退職、転職など考え始めていた頃で、それまで何も思わなかった商品群のひとつに魅力を感じるようになっていきました。この時に話を聞いたファンドが、自身の金融資産増加を加速させるとは、このときまだ考えてもいませんでした。

 

●めざせ準富裕層

ここでタイトルの形になる訳ですが、この金融商品が日に日に魅力に感じるようになり、ただまだ一歩踏み出せずにいたのも確かで、持ち金は3,700万前後をウロウロしていましたが、このファンドに半分強を出資しました。今からちょうど1年くらい前の事です。

そしたら…配当が26万だか入ってきて、その後も同じ額が毎月入ってきました。給料が倍近くになったようなものでした。加速度的に金額が増加し、そのファンドの基準価額増や株の儲け、金価格上昇などで月に150万、180万と増えていきました。100万減った月もありましたが…。

52歳10ヶ月で4,000万に到達し、この頃ぐらいからやっと自分の持ち金を正確に把握するようになりました(遅すぎ)。

月ごとに100万の位の数字が変わる勢いで増えていくのは逆に恐ろしいほどですが、来月末(つまり明後日)時点では、暴落しない限りは4,500万到達が見込めるところまで来ました。

金額が増えるほど、節目への到達ペースが短くなるとよく言いますが、頓着してなくてもこれなので、もっと頓着していれば早かったかもしれません。それでも金を増やすことに汲々としていたくないので、ある程度は好き勝手に遣うし、親への金渡しも惜しまずにやっています。

 

●ここからの道

あと500万で準富裕層の5,000万到達となりますが、ここまでの道のりを今後お送りしながら、株や金、投信、ザルで水を掬うようなポイ活まで、いろんな事を織り交ぜながら、書いていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。